「不動産業の歴史入門」1 蒲池紀生
「不動産業の歴史入門」 蒲池紀生
定価1785円
第1章●江戸時代~明治時代
1 白木屋彦太郎、土地・店舗を買う
2005(平成17)年、東京・日本橋で大型商業ビル「コレド」が完成しました。このビルの敷地には、以前は「東急デパート日本橋店」があり、さらにその前には「白木屋デパート」がありました。
「白木屋」の祖・彦太郎さんは近江から江戸に上り、日本橋に呉服反物店を開きましたが、その後の1700(元禄13)年、日本橋通1丁目角の土地20坪(約66平方m)とその上に建てられている店舗を吉岡某さんから買っています。
この売買の際の「沽券」が伝えられています。「沽=売買」「券=証文」なので、「沽券」は「売渡証文」を意味し、この「証文」が、今日の「不動産権利証」の効力を持っていました。
そして町奉行所が「沽券」に記された土地の面積や所有者名を書き込んだ地図=「沽券図」を備えていました。今日の登記所の「公図」にあたるものです。
彦太郎さんと売主との間でまとめられた「沽券」には、「永代売渡申屋敷之事」との表題の下に「確かに売りました」と記されており、売主と町役人(町名主・五人組)二人が並んで記名捺印し、「沽券」の文面に「この売買にとやかくいう者などがいたら、私ども町役人が話をつけ、買主の権利を守ります」と記されています。
町役人が“取引の保証”をしており、今日の不動産業者が取引の仲介をしたとき、契約書に売買両当事者とともに記名押印し、それをもって取引保証の役割を持たせているのと相通じます。
町役人が今日の仲介業者の機能の一部の役目を果たしていたともいえます。なお、今日では古い言葉になっていますが、「沽券にかかわる」という言葉があり、「沽券↓資産↓社会的地位」となり、「面子にかかわる」という意味で使われています。
2 売買できたのは町方地の一部
江戸で初の「人別改め=人口調査」が行われたのは1721(享保6)年(8代将軍吉宗)で、当時の町人人口は50万人超とされています。このほかに将軍・大名と家来(幕臣・江戸詰め藩士)、その家族、さらに神社・寺院の社寺人口もあり、これらの合計がやはり50万人見当といわれています。
江戸の土地は武家地、寺社地、町方地に大別されていました。武家地では大名や大身旗本らが広い屋敷(上・下など)を構え、その周囲の武家屋敷に家臣とその家族を住まわせていました。
これら武家地は江戸市域の約6割を占めていたといいます。残り4割の半分である2割が町方地でした(さらに残り2割が寺社地―広い境内など)。
50万人超の町人が市域の2割に住み、少数の土地持ち富裕町人以外の多くの町人は町方地にひしめいており、時代劇映画の狭い棟割長屋の風景のとおりだったのです。
町方地は、さらに①沽券地、②草創地、③抱地、④拝領地、⑤被下地、⑥預地、⑦上納地(請負地)、⑧拝借地、⑨助成地、⑩某所付屋敷地、⑪会所地、⑫町並地の12種の土地に分けられており、このうちで売買が許されていたのは「沽券地」と「草創地」の2つだけだったということです。
封建時代では大半の土地が権力者(将軍や大名など)の「領地」であり、原則としては「個人の所有権」は認められず、「土地の売買」も「使用権的なものの売買」と思われますが、江戸中期以降になると、貨幣経済の発達や町人の実力の台頭とともに、「実質的には所有権に近い権利」へと変わっていき、やがては「所有権同然の売買」となったようです。
3 「家屋敷口入会所」設立の出願
江戸時代でも地所・家屋の売買・賃貸の取引が増えてくると、問題も発生したようです。ニセ沽券にだまされたとか、記名捺印した町役人から法外な礼金を要求された、といった問題です。
こういう事件・問題の防止策として「取引あっせん機関」の設立を提案した人がいました。―1748(寛延元)年、江戸・箔屋町の家主・十兵衛さんという人が、町奉行所に「家屋敷口入会所(口入=くちきき・仲介)」の設立を出願し、その仕組みを次のように説明したそうです。
「この会所は地所家屋の売買・賃貸の取引をあっせんする仕事をし、当事者間の契約が成立したら、売買なら“町内弘め”として取引金額100両につき3両(3%)を買主に出してもらい、うち1両は買主、1両は売主、2分(1両=4分)は町役人への礼金、2分は会所への手数料との比率で配分します。
この会所ができれば、取引する人は会所においてあっせん人立ち会いで公正な交渉を進めることができ、法外な礼金を要求されることもなくなり、悶着もなくなると存じます」
今日の仲介業務のような提案でした。しかし、町奉行が当時の慣例によって、町名主組合の代表らを招いてこの提案への意見を求めたところ、代表らは口を揃えて「これまでも町名主・五人組など町役人が契約に立ち会っており、とくに不都合なことは起きてませんので、口入所など必要はないと存じます」と述べ、奉行はこの申立てのほうを採用、十兵衛さんの出願は却下されました。
地所家屋流動化の進行を反映した“不動産業の萌芽”でしたが、古い勢力によって摘みとられたのです(出典・北島正元「不動産業の先駆」『住宅新報』昭和43年5月17日号)。
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