「不動産業の歴史入門」 5 蒲池紀生
図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)
11 金融業と兼営で始発し発展
明治維新前には苗字帯刀を許されていた山梨の豪農・駒沢傳吉さんは、1900(明治33)年に資産を処分して北海道へ渡り、釧路銀行を設立。この銀行は北海道の鉄道事業で政府の支払銀行に指定されたりして発展し、また、その組織内の不動産部門も現地で活動していました。
大正はじめ、東京に移り、商号を光正銀行に、さらには駒沢銀行に改めました(この間、本店を浜町から本郷弓町、さらに神田須田町に移していました)。
1928(昭和3)年の全国小銀行統合改組のとき、銀行業務を第一銀行(当時)に譲渡し、従来の付帯部門の不動産業を本業として、商号も光正不動産と改めました。
だが、銀行はやめても金融業は小規模にしながらも続けることとし、金融―不動産両業務の連携で事業を発展させてきました。現在の本店は内神田に移っています。
東京・銀座の著名な老舗・小寺商店は、先々代・小寺朔次郎さんが1906(明治39)年に創業したもので、その初期には金融業も兼営していたということです。銀座一帯を中心に売買・仲介、管理で強い地盤を固めて、3代目の現在、大きく発展しています。
2代目の源太郎さんは、なかなかの勉強家で、1953(昭和28)年、法律雑誌『ジュリスト』(有斐閣)の「不動産セミナー」に我妻栄・東大法学部教授らとともに登場、法理論と実務の“橋渡し”的な役割を担っていました。また、地元の後輩同業者を適正な仕事をするよう指導したそうです。
今日の“不動産と金融市場の融合”からも、不動産―金融連携の脈絡が思い返されます。
12 信託会社として不動産業務を展開
東京・内幸町の帝国ホテルの隣に大和生命ビルがありますが、このビルは、1960年代までは小さい・低層の古風なビルで(その後、大型・高層化に改築)、そのなかに日本不動産という会社がありました。この会社の以前の商号は東京信託社で、同社「経歴書」には創業のころのことが次のように記されています(原文のまま)。
「欧米に於て財産の管理並に不動産に関する一般的業務が信託業務として発展して居る情況を具に視察せられた当時の三井銀行地所部長岩崎一氏が資産家の要望に答えて同氏個人経営の下に明治36年9月財産並に不動産の管理を主として土地建物の売買及び其仲介を営業目的とする東京信託社を創立せられ営業所を東京市日本橋区本町2丁目20番地に置かれたのが当社の起源であります」
設立後3年目の1906(明治39)年4月、東京信託社は株式会社に改組され、その定款の「営業目的」には次の各項目があげられていました。
1 財産に関する信託業務、2 不動産抵当代理貸付、3 不動産の売買貸借及其仲介、4 土地建物の鑑定、5 土木建築工事の設計監督及測量製図
当時の三井銀行の顧客など資産家の要望に応えて不動産の管理や売買、仲介の仕事を進めたのです。管理不動産が東京市(当時)の各地域に広がったので、主要地に差配所(管理事務所)を設けています。
社屋は創業地から元大工町を経て1927(昭和2)年に内幸町に移ってきました(現在はさらに品川区に移転)。1926(大正15)年、信託業務はやめ、不動産業一本にし、日本不動産と改称しました。1912(大正元)年には東京府荏原郡(当時)で宅地開発・分譲事業を行いました。
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