「不動産業の歴史入門」 6 蒲池紀生
図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)
13 企業ビジネスとしての管理業務元祖
家作差配(貸家管理)業務は、明治初期ごろまでは主として個人の“生業レベル”で営まれていたようですが、同中期になると、企業規模のビジネスとして行われるようにもなったようで、その事例に、神戸市の帝国信栄という会社があります。
1893(明治26)年創業で、実に1世紀以上の歴史を有し、1943(昭和18)年版「営業案内」の創業事情は次のとおりです(原文のまま)。
「当社は明治26年の創業でありまして、わが邦土地家屋の管理業として最も古く、……実に本邦土地家屋管理業の元祖と謂われて居るものであります。今より50年前の神戸と云へば、所謂新開の都市でありまして、その新興の神戸を目指して全国より集って来る多数の移住者等は貸家を探すのが中々の苦労だったのであります。
又一方地主や家主の側から申しましても多数の需要者がありながら敏速に貸付け確実に地代家賃を取り立てると云ふことは相当困難なものでありました。
茲に於てこれ等需給関係の調和を計ることは神戸市の発展上からも最も緊要のことであると云ふので有志間に適当な機関の必要を唱えられるようになったのであります。当社はこれ等の与論が動機となって土地家屋の管理業を創始したのであります」
創立時の会社は合資会社兵神館であり、その後の1897(明治30)年に株式会社に改組、さらにその業務が帝国信託に継承され、次いで帝国信栄と改称、今日に至っています。
上記「営業案内」が出た後の1945年ごろには、神戸市や大阪市などに15の出張所をもち、家屋約9万戸、土地1万余件の管理をしており、その地代・家賃は年間2000万円超、管理料は「地代の4%」「家賃の5%」とのことでした。
14 明治期の管理契約書にみる業務内容
帝国信栄が兵神館と称していた1906(明治39)年に、貸家の家主さん(現代風にいえばオーナー)と同社との間で締結された「管理契約書」が残されています。
同年8月7日付で家主O氏と伊賀正太郎・兵神館社長との間で結ばれたものです。この「契約書」では、兵神館が行うべき「管理業務の内容」が次のように記されています(原文のまま)。
「……家屋ノ、管理トハ甲者(家主)ヨリ其所有ニ係ル別紙家屋ニ対シ左ノ権利行使ヲ乙者(兵神館社長)ニ委託スルヲ云フ。― ①家屋ノ貸附及家明(注・借家人の退去・家明け渡しのことと思われる)ニ係ル事、②住居人ノ戸籍ニ係ル事、③家賃金ヲ収得スル事、其他家屋ノ管理上ニ要用ナル権利ノ行使ヲ為ス事」
①③は現在の管理業務からみても明らかです。②が具体的にどういうことかについては、不動産業研究家の片野秀樹さんの資料によって次のように解明されています。
―「1886(明治19)年9月28日付内務省令」に、地主・家主または管理者は「寄留者(借地・借家人)の寄留・退去の日から10日以内に、寄留・退去の旨を、寄留地の戸長に届け出るとともに、寄留・退去者の本籍地戸長にも同届書を発送しなければならない」と定められていたのです。
そこで、地主・家主さんは、その仕事を「管理者がやる」ように契約書で定めていたということだと思われます。居住者の「身元の掌握」といった行政の一端に協力する義務を負っていました。
戸長とは、1872(明治5年)の地方制度改革で小区に置かれた役人で、従来の庄屋・名主から選ばれました。のちの村・町長です。
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