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「不動産業の歴史入門」4 蒲池紀生

図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)


9 不動産業者のルーツ ― 2

●職業紹介業からの派生――江戸時代から「丁稚・小僧、人夫、女中など」のあっせんをする「口入屋・桂庵」と呼ばれる、民間の“職業紹介業者”がいましたが、これらの業者で“職業の紹介”のほかに、副業として“土地建物の紹介”をする人々があり、その副業部分が発展しての不動産業者もあったといわれています。

戦前からの業者で不動産業者の長老の人から、“二枚鑑札の業者”という言葉を聞いたことがあります。「鑑札」とは「営業許可証」のことで、ここでいう“二枚”とは、「職業紹介」と「不動産紹介」の二枚の許可証ということです。

  1926(昭和元)年12月警視庁(東京)令紹介営業取締規則施行細則には、同細則の適用の「紹介業者」を「左ニ該当スル者ノ紹介ヲ為ス者」としています。「1.芸妓、娼妓、酌婦又ハ之ニ類スル者、2.里子、3.結婚者、4.不動産ノ売買又ハ貸借者」。「職業紹介」と「不動産紹介」が同居しており、両者の近接性を示しています。

●信託業――信託業は明治中期に欧米から導入され、たちまち、「信託会社」と称する企業が全国で500社ほど出現したということです。

そして、その業務内容をみると、金融、無尽、証券、不動産などさまざまでしたが、不動産を主業務とするものが少なくなかったといわれています(後に信託法・信託業法の制定〈1922=大正11年〉で再編成。現代の信託銀行も不動産業の一部〈流通・管理〉を営んでおり、現行信託業法では兼業不動産業の内容を「不動産の売買・貸借の媒介」としています)。

10 町内世話役 ― 家作差配から始める

不動産業の各ルーツから誕生した代表的な老舗不動産業者をあげてみます。

 東京・神田須田町の藤川不動産の初代・藤川豊次郎さんは明治はじめ、神田の金物屋・山萬商店に奉公し、10年ほどたった25歳のとき、町内の顔役だった店主のいいつけで、店の仕事のかたわら、町内の催し物などの世話をするようになりました。

その縁で町内の地主・家主さんたちと知り合い、貸地・家作の差配(管理)を頼まれるようになり、やがてお店を辞め、差配業を本業にしました。

 その後、差配の日常業務のほか、空家への店子(借家人)の仲介、さらに土地・建物の売買・仲介も手がけ、また、自らも家作を経営するようになりました(現在は3代目。流通業務のほか、ビルも経営しています)。

 東京・虎の門一帯に多数のビルを持ち、さらにアークヒルズや六本木ヒルズなどの事業者である森ビルも、その始動期は家作の差配人・経営者でした。初代社長の森泰吉郎さん(1904年生まれ)は、“始祖の時代”を次のように語っていました。

 「京橋でタバコ屋を営んでいた私の祖父・嘉七は明治初期、大火で焼け出されて愛宕下に移り、その後、地元の地主さんの依頼で貸地約2000・家作30戸の差配人になりました。後継の私の父・磯次郎は差配をしながら米屋を営み、差配物件を増やし、さらに自分の家作・所有地も持つようになりました(家作30戸・土地650平方m)。関東大震災で家作がほとんど焼失した後、やはり家作として再建築しました」(戦時中の空襲で、またほとんど焼失した後は、跡地を整理してビルを建て、ビル業者に転じて大きく発展。)
 

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