不動産業の歴史入門 7 蒲池紀生

図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」 
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)

 

15 明治中期に月賦住宅事業を推進
日清戦争(1894~95=明治27~28年)後の東京では、住宅建設の気運が高まり、かつ、住宅不足の状況がみられました。


 前者は、当時の東京では市区改正(現在でいえば都市計画)事業が進められ、また、水道敷設事業も積極化し、それに火災保険事業の発達もあって、東京市民の間に住宅の新築・改良の気運が高まっていたのです。

後者は、戦後の東京への流入人口の増加―戦争中に応召などで"東京を見た若者"が増え、そうした人たちで地方の「農家の次・三男以下の若者」が戦後に「東京で職につこう」と上京したことなどもあって、貸家・貸間が払底したわけです。


 こうした状況を見て、安田財閥の祖・安田善次郎さんは、1896(明治29)年10月、安田財閥の不動産会社として東京建物を設立しました。「市民の建設意欲―建設資金需要に応ずるとともに、公正な不動産取引をする会社を」ということでした。資本金は100万円、当時としては超大型会社でした。


 東京建物は、不動産取引一般、仲介、管理のほか、月賦住宅事業も行いました。定款に次のように規定しています。

「当会社ハ15年ヨリ長カラサル期間ニ於テ年月賦契約ニヨリ建物ヲ建築シテ之ニ居住セシメ其償還ヲ完済セシ後所有権ヲ転付スルコト」・「永年月賦契約者ニシテ其之資ニ付スル十分ノ六以上ヲ償却セシトキハ其受取証券ニ付シ相当ノ貸付金ヲナスコト」。


 月賦住宅事業と組み合わせて金融業も営んでいたのです。日清戦争後の好況期で、東京建物は創立直後から順調な滑り出しだったといいます。

 


 

16 明治中期の不動産の新聞広告
1897(明治30)年4月23日付の『東京日日新聞』(現・毎日新聞)の1面に東京建物の大型広告(全面の4分の1)がありました。その紙面は今日の新聞とはずっと異なっていました。本紙8ページ、1ページ6段、1段59行、1行22字。字体は現在よりずっと大きく、漢字の大半にはルビ(かな)がふってあります。東京建物の広告は1面の下3段の右半分を占めていました。


 最上部には大きく黒地白ヌキで「東京建物株式会社広告」との横書き見出し、続いて1段目に「謹告」と題して、事業紹介の項目が並んでいます。「一、月賦法建物建築の事、一、地所建物売買の事、一、地所建物売買貸借紹介の事、一、地所建物抵当貸附の事」

 そして各項目の説明が"候文"です。たとえば、「時下最も建築には好適の季節に向ひ候に付続々御懇命奉仰候」、「大小を不問専ら確実迅速を旨とし御取引可仕候」といった調子です。

さらに下の2段目と3段目には28件の売物件広告が並んでいます。ほとんどが東京市(当時)内の物件で、その所在地は木挽町、京橋、日本橋、神田、本郷、小石川、牛込、麹町、麻布、赤坂など。

1物件の説明は2行ないし6行、ほとんどが土地付き家屋で、それぞれの面積が記され、庭の風景描写なども添えられています。「土蔵付き」「家作付き」などもあり、地所は1000~2000坪(3300~6600〓)といった広大なものばかり―"お邸"です。価格は書いてありません。

それから、説明文の末尾に、「貴顕紳士の好佳邸」などと"有効需要者"として富裕階級の人々をあげています。
 

アーカイブ