「不動産業の歴史入門」13 蒲池紀生

図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」 
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)

 

26 家賃より安い月賦金 ― 池田住宅地
池田室町住宅地の分譲は、箕面公園の紅葉のシーズンに合わせて始められました。このとき『住宅地案内――如何なる土地を選ぶべきか、如何なる家屋に住むべきか』という小冊子をつくり、大阪の人々に広く配布しました。分譲地パンフレットのはしりです。

 小冊子はまず「池田室町住宅地」のもつ「天与の恩恵ある自然条件」をとりあげ、加えて次のような施設の完備を強調し、この「住宅地」こそ「理想的住宅地にピッタリ」としています。 

①完全なる道路を設け両側に樹木を植ゆること。②一戸建ての住宅を建築すること。③庭園を広くすること。④電灯の設備あること。⑤溝渠下水等衛生施設を十分ならしむること。⑥会社直営の購買組合を設け、物資の供給を廉売ならしむること。⑦娯楽機関として倶楽部を新築し、玉突台其他の設備を完全ならしむること。⑧公園及び花樹園を設け花奔盆栽園芸趣味を普及ならしむること。⑨床屋、西洋洗濯等日常必要なる店舗を設置すること。

「住宅地」は一番町から十番町までに分けられ、1区画は約330平方m(約100坪)でした。住宅は2階建てで、1戸に5~6室、延床面積が66~100平方mの「文化住宅」。価格は土地・家屋、庭ほか施設一式付きで2500~3000円。頭金が2割で、残り8割は10年月賦(月に24円程度)となっていました。

 好評を博して短期間で売り切れたので、この後は順次、豊中、桜井などへと土地・住宅事業を伸ばしていきました。"家賃よりも安い月賦金"ということで、大阪地区の評判になったといわれています。 

 

27 「郊外生活のすすめ」 ― 阪神電鉄
阪神電鉄は1899(明治32)年の設立で、その後の1905(明治38)年に大阪―神戸間の路線を開業しました。開業後、旅客需要の増強をめざして、沿線での遊園施設の設立や住宅経営の方針をとり、1907(明治40)年にまず香櫨園遊園地、打出浜海水浴場を設けました。

 さらに翌1908年1月には『郊外生活のすすめ』というポケット判冊子を発行、広く大阪の人々に配布しました。この冊子は、大阪の著名な医家16氏に「郊外生活がいかに人間の健康によいか」を記述してもらったものでした。また、土地・住宅の無料紹介所の設置(梅田)、沿線への移住者への家具無料運搬、沿線地域への街路灯寄贈などのサービスに、力を注ぎました。

 さらに1909(明治42)年9月には、「安くて住みよい家」のモデルという意味をこめて、西宮駅近くに30戸の貸家を建て、経営に乗り出しました。棟続きのタウンハウスで、住んだ人の話では「各戸とも入口裏にまで土間が通っており、1階が3室、2階が2室、入口は格子戸」と伝えられています(好評で、建設中に全戸契約)。

 この好調に続いて、翌1910年9月には、鳴尾西畑の枝川町(現・甲子園駅東南)に70戸の文化住宅を建てて分譲、続いて御影の山手に高級住宅20戸を建てて分譲、いずれも好評だったとのことです。この後も、1911年には北大阪線(当時はまだ建設予定線)の沿線・鷲州方面で約11万8000平方mの土地を買収するなど、多くの新経営地を保有するようになったようです。

 阪急、阪神は、沿線開発・本格的住宅地分譲事業の先駆双璧というところですが、今日では経営統合の時代に入っています。
 

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