「不動産業の歴史入門」14 蒲池紀生

 図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」 
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)

 

 28 安田財閥の中枢でも不動産管理
 安田財閥の不動産事業としては、初代・安田善次郎さんが1896(明治29)年に設立した東京建物によるものがありますが(前記)、そのほかに、財閥中枢の機関による不動産の管理業務がありました。

 初代・善次郎さんは幕末に富山から江戸に出て安田屋を開店、当初は海産物販売をしていましたが、やがて両替商(貨幣交換、手形・為替取扱、金銭貸付=金融業)に転じ、屋号を安田商店と改めました(さらに1880=明治13年には安田銀行と改称)。

 初代・善次郎さんは日ごろから「個人としては自己資産の10分の1以上の不動産を持つべからず」ということを信条とし、自らそれを守るのはもちろん、人にもそう説いていました。「資産はまず仕事の運転資金に活用、不動産投資など後回し」というのでした。

 しかし、金融業を営んでいると貸金の担保流れなどで、本店のあった日本橋界隈(当時)その他で、自家用住居・店舗以外の所有不動産も次第に増えてきました。これらの不動産保有は安田一族の個人名義または安田銀行名義とされていて、安田銀行地所部が管理していました。

1887(明治20)年7月、安田財閥の中枢機関が整備されて保善社(私名組織)が設けられ、これが1912(明治45)年1月、合名会社保善社に改組されました。このとき、保善社は安田銀行地所部から不動産管理業務を引き継ぎました(部内に地所課が置かれました)。

そしてその後に東京市内・外各地の不動産管理のため錦町・小松町・浜町・深川・浦賀などに差配所(管理事務所)を設けていました。
 

 29 108人が東京市宅地の4分の1を所有
封建時代には将軍・大名・旗本などが広大な地所を所有していたのですが、明治以降、そうした大土地所有はどう変わったか。―大筋としては、歴史の進展とともに一般市民などに細分化されてきたわけですが、そのテンポはそう速いものではなく、明治末ごろにもなお多くの大土地所有がみられました。

 明治期革新主義の旗じるしの一つ『平民新聞』(日刊)の創刊号(1908=明治41年1月15日)~第15号間連載の、竹内余所次郎さんの3編のリポート「東京の大地主」・「大地主表を作るの感」・「東京市土地分配調の結果」が当時の大土地所有の実態を示しています。

 竹内さんは1906(明治39)年11~12月の2カ月をかけて東京市内15区(当時=日本橋・京橋・神田・浅草・芝・下谷・麹町・深川・本所・四谷・本郷・麻布・赤坂・牛込・小石川)の全区役所を回ってすべての土地公簿を閲覧、統計をとりつつ、2000坪(約6600平方m)以上の大地主とその所有面積を書き取ったそうです。

 この調査結果によると、東京市の宅地総面積は約1180万8232坪(約3897万平方m、官有地・田畑・山林など除く)、宅地所有者総数は2万1295人となっています。

この所有者のうち1万坪(約3万3000平方m)以上の超大地主が108人、その所有面積の合計が267万4972坪(約882・7万平方m)で、なんと宅地総面積の約4分の1です。108人のうち39人は旧大名家、その他では新興の財閥一族、江戸期以来の豪商の名などが並んでいます。

そして竹内さんは「信長・秀吉時代の豪族の子孫どもがいまなおのさばっている!」と慨嘆しています。

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