「不動産業の歴史入門」16 蒲池紀生

図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」 
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)

 

3 五島慶太さん、田園都市に入社

 今日の東急グループの創設者とされる五島慶太さんも、田園都市に入社することで、その"東急時代"をスタートさせたのでした。田園都市を母体企業として関連鉄道会社を大きく発展させて巨大グループを形成したわけで、その間、五島さんが強力なリーダーシップを発揮してきたのでした。

 田園都市の関連鉄道会社は、田園都市とともにさまざまな進展をみせてきました。1920(大正9)年、荏原電気鉄道は大井町―調布間路線の経営に乗り出し、その後、田園都市の系列下に入りました。

同鉄道はさらに翌1921年には目黒―蒲田間路線の免許を得て、1922年には目黒蒲田(目蒲)電鉄となりました。さらに1923年には目黒―丸子多摩川間を開通させ、続いて1924年には武蔵電気鉄道を買収し社名を東京横浜電鉄と改めました(これが昭和期に入って東京急行電鉄=東急電鉄へと発展するわけです)。

 ところで、五島さんの"田園都市入り"は、やや複雑な経過のものでした。―五島さんはもともとは鉄道院(後の鉄道省)の総務課長でしたが、1920年5月、官を辞して武蔵電鉄の常務になっていました。

そのころの田園都市では渋沢栄一翁が大株主の第一生命の矢野恒太さんに「鉄道や土地の玄人の人が欲しい」と頼み、矢野さんと同じ第一生命の和田豊治さんが「小林一三さん(当時・阪急電鉄)がいい」と勧めました。

しかし、小林さんは「大阪での仕事が忙しいから」と断り、「五島慶太さんがいい」と推せんしました。こうした経緯で渋沢さんが五島さんに田園都市グループ入りを口説き、五島さん入社が実現したのでした。

4 別荘地開発と学園都市建設 ― 箱根土地

 西武グループの創設者・堤康次郎さんは、その青春時代にはさまざまな事業を手がけていましたが、本格的に事業家としてスタートしたのは別荘地開発や観光事業からであり、やはり"土地事業出身"ということでした。

 堤さんは、1918(大正7)年に長野県・軽井沢千ヶ滝の別荘・観光地開発に着手し、翌1919年には神奈川県・箱根の強羅、仙石原、芦ノ湖畔などで同じく別荘・観光地の開発を進めました。

こうした開発事業は堤さん個人の方式で先行しましたが、この後の1920年に、これらの開発・観光事業の経営会社として箱根土地を設立しました(この会社が後の西武グループの中核母体としての国土計画で、のちにコクドと改称、2006年にグループ再編でプリンスホテルと合併)。

堤さんは、軽井沢・箱根の別荘地開発での広い道路を建設しての開発地構成、箱根での有料道路経営などの新基軸を展開しました。

 その後、別荘地だけでなく、東京の市内や近郊で学園都市の建設や住宅地開発事業にも乗り出すようになりました。とくに関東大震災(1923=大正12年9月)の後には、"学校を中心とした新しい街づくり"を計画し、それを次々と実現していきました。

その第1弾は大泉学園都市で、1924(大正13)年に建設に着手、東京府下の練馬から埼玉県の隣接地にかけて約100万坪(約330万〓)の土地を買収し、道路、下水道、電灯などの施設を整備しました。

次いで、やはり東京都下北多摩郡で小平学園都市を建設し、さらに翌1925年には同じく北多摩郡で国立学園都市の開発・建設に着手―これらについて堤さん自ら「着々成功」といっています。