図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)
6 「目白文化村」の新聞広告と資料
箱根土地は学園都市のほか、東京市内の各地でも多くの宅地開発・分譲事業を行っていますが、それらの中でとくに有名なものの一つに「目白文化村」があります。震災後の郊外開発、戦前の郊外の新興住宅地といったものの代表的事例でしょう。
ところで、『文藝春秋』誌1926(大正15)年5月号掲載の岸田国士の戯曲「紙風船」(若夫婦の日曜日朝の生活風景を描いたもの・一幕物)の中で「夫が"目白文化村"の新聞広告を読むくだり」があります。「広告」の文面は次のとおりです。
「米国フラー建材会社のターナー支配人が一日目白文化村を訪れて、おおロスアンゼルスの縮図よ! と申しましたように、目白文化村は今日瀟洒たる美しい住宅地になりました。
四万坪の地区には、整然たる道路、衛生的な下水道、電熱供給装置、テニスコート等の設備があり、多くの小綺麗なバンガローや荘重なライト式建築、さては優雅な別荘風の日本建築などが、富士の眺めや樹木に富む高台一帯の晴れやかな環境に包まれて......」
この広告のコピーで描かれているのは、関東大震災後の郊外開発の典型的事例であり、当時はこうした郊外新住宅地には"赤い屋根のスイートホーム"が流行していたといわれています。こうした開発地の分譲が徐々に活発化してきた時代だったのです。
ところで実際の「目白文化村」はどういう分譲地だったでしょうか。―旧国土計画の資料によると、分譲の規模・経過は左ページの表のとおりです(面積単位:坪、道路面積は外数)。
7大阪地区の 土地熱 と土地会社
大阪地区には"土地熱"という言葉があり、明治後期から大正初期にかけて、あるいは第1次世界大戦後の好況期などにみられた現象といわれています。地価が上昇すると、投資過熱に、そしてさらに上昇―さらに過熱(一定時期になると、事態一転、地価下落・過熱で火傷=損失)といったもので、大阪だけでなく、"列島改造ブーム期"や"バブル期"には全国でみられた現象ですが、とくに"利にさとい大阪では土地投資が過激"ということで使われている言葉のようです。
大正初期の大阪地区では、やはり"土地熱"流行がみられ、1913(大正2)年9月17日付の『大阪朝日新聞』に「土地会社の乱興」という記事が掲載されていました。
この記事は当時の大阪地区に所在した土地会社の社名を列記し、「これらの各社の多くは、土地熱の流行の中で、自己の土地の高値処分などを期待して設立したもので、堅実経営の会社は数社に過ぎない」と批判的な内容のものでした。
列記された土地会社は20社前後で、中には実質的な土地経営、家産管理の会社などもあり、すべてが"土地熱の浮かれ会社"ではないようでした。
当時は、好況のほか、大阪市電の新規路線開通や私鉄の路線延長が進められており、これら交通路線の整備で郊外の市街地化が活発化し、地価上昇が続く、という傾向が認められたともいわれており、郊外発展の中で一定の役割を果たしたというような会社もあったと思われます。
また、土地会社の中には、地価上昇期には土地造成・販売などに力を注ぎ、地価沈静期には土地建物の賃貸経営中心、というような時流対応タイプもあったといわれています。



