「不動産業の歴史入門」17  蒲池紀生

図解不動産業シリーズ
「不動産業の歴史入門」 
蒲池紀生著
住宅新報社刊
定価1785円(本体1700円)

 

5 今昔の感深い国立学園都市

堤さんは、開発・建設した学園都市の中で、とくに「国立学園都市」を"私の自慢"としています(『私の履歴書』による)。
 「(東京市内や近郊での土地開発の中で)私の自慢の一つは国立の開発である。大正12年の大震災後、商科大学が移転することになった(注・東京商大〈現・一橋大学〉が大震災で焼け、神田一ツ橋から郊外へ移転)。

私は佐野善作学長と共鳴して積極的に努力することとなった。国分寺と立川の間に適地を見つけて国立と名づけた。まず、駅をつくって国鉄に寄付することになった。国分寺と立川は地勢が高くて真中の国立はへこんでいる。

そこで両方から線路をあげてきてオーバーブリッジなしで乗り降りできる理想的な駅をつくった。......駅前には幅24間の広い幹線道路も設けた。......」。
 この駅前地区で近年、"国立マンション景観問題"が発生しており、また、名物駅"国立駅"も老朽化して解体・再建が進められています。まさに"今昔の感深し"というところです。

 各学園都市ではいずれも近くに駅があり(中央線国立駅、多摩湖線〈現・西武多摩湖線〉一橋学園駅、武蔵野鉄道〈現・西武池袋線〉大泉学園駅)、学園としては、国立には商大だけでなく、音楽大や女子体育大が移ってきており、小平には商大分校、津田塾が移ってきました。

また、これらの住宅地分譲では当初は1区画がだいたい660平方mから1000平方mであったとのことです(戦後、1区画を2分の1、3分の1に分割・再分譲される事例があったといわれています。こうした分割・再分譲は、国立だけでなく、戦前の大型区画分譲でよく見られたことです)。

 

6 「目白文化村」の新聞広告と資料

箱根土地は学園都市のほか、東京市内の各地でも多くの宅地開発・分譲事業を行っていますが、それらの中でとくに有名なものの一つに「目白文化村」があります。震災後の郊外開発、戦前の郊外の新興住宅地といったものの代表的事例でしょう。

 ところで、『文藝春秋』誌1926(大正15)年5月号掲載の岸田国士の戯曲「紙風船」(若夫婦の日曜日朝の生活風景を描いたもの・一幕物)の中で「夫が"目白文化村"の新聞広告を読むくだり」があります。「広告」の文面は次のとおりです。

 「米国フラー建材会社のターナー支配人が一日目白文化村を訪れて、おおロスアンゼルスの縮図よ! と申しましたように、目白文化村は今日瀟洒たる美しい住宅地になりました。

四万坪の地区には、整然たる道路、衛生的な下水道、電熱供給装置、テニスコート等の設備があり、多くの小綺麗なバンガローや荘重なライト式建築、さては優雅な別荘風の日本建築などが、富士の眺めや樹木に富む高台一帯の晴れやかな環境に包まれて......」

 この広告のコピーで描かれているのは、関東大震災後の郊外開発の典型的事例であり、当時はこうした郊外新住宅地には"赤い屋根のスイートホーム"が流行していたといわれています。こうした開発地の分譲が徐々に活発化してきた時代だったのです。