風のたより

徹子の部屋。最近では,ある深夜番組で「徹子の部屋芸人」として取り上げられていた長寿
番組の1つ。第1回のゲストは先ごろ亡くなった森繁久弥さんだとか。先日たまたまみた回に,こども店長でも有名な人気子役が出ていた。8歳とは思えないほどしっかりした受け答えに感心したが,徹子さんにも感心した。「あなた,お芝居が上手なのね」。子役であろうが「あなた」で話を進めていく。

また,その子のリクエストに応えて髪の毛のふくらみの中から飴を1つ,2つと取り出した。「あなたの分と妹さん,弟さんの分もね」。なんという心配り。徹子さんってスゴイ!「補助金も」。思わずテレビに向かって言ってしまった。
(冨士田

なぜ人は精神的に病んでしまうのだろうか。そして,人はなぜ言葉による文化(文芸・演劇
など)を作ってきたのだろうか。このことは物事の裏と表であるような気がする。精神分析学を創始したジークムント・フロイトは,「ヒステリー症者は,主に回想に病んでいる」(『ヒステリー研究上』)と書いている。ヒステリー症者を私と読み替えれば,これは私のことである。

また,私たちと読み替えれば,これはほとんどの人々のことになる。私(たち)の精神(こころ)は主に回想に病んでいるのである。泣くか復讐するかして,情動(屈辱・侮辱)に対する反応が十分であれば,その情動の

部分は消え去るとフロイトはいう。ところが「この反応が抑え込まれると,情動は思い出と結合したままになる。侮辱を受けたとき,たとえ言葉で言い返すだけであっても,ともかく報復ができたなら,その屈辱については,ただ耐えていなければならなかった場合とは異なった想起のされ方をする」という。

つまり言い返せなかった情動体験の回想によって人は病むことになる。そしてフロイトは,復讐は情動反応を除去できるが,言葉でもその代理ができると書いている。「それ(情動体験)について語り尽くす」ことが適切な反射になるというのだ。

つまり簡単に言葉にできないで,内面深く巣食っている情動反応を除去するには,意識的に思い出し,言語化する過程をとおして,情動体験を蘇らせる必要があるのだ。そこで情動体験を詩や小説や演劇にしてしまうことで,カタルシス(浄化)につなげようとする試みが古代からなされてきた。

多くの言葉による芸術は,言い返せなかった情動体験の除去が,潜在的なモチーフであると,ぼくは考える。
(殿岡)